忍者ブログ
MASTER →  ADMIN / NEW ENTRY / COMMENT








MLBの忘れられた幽霊たち:名前も知られぬ32人の選手で「幻のチーム」を結成してみた






MLBの忘れられた幽霊たち:名前も知られぬ32人の選手で幻のチームを結成してみた


「MLBには、名前の判明していない選手が32人いた」


この一文だけで、ちょっとワクワクしませんか?


メジャーリーグベースボール(MLB)といえば、現代では選手の全てのプレーがデータ化され、詳細な記録が残されている世界最高峰のリーグです。しかし、その輝かしい歴史の陰に、驚くべき事実が隠されていることをご存知でしょうか。


MLBには「名前の判明していない選手」が32名も存在するのです。


これは都市伝説でも何でもありません。1872年から1892年の間にMLBとその前身リーグでプレーした選手の中に、苗字しか記録に残っておらず、ファーストネームが不明な選手が32名もいるのです。今回は、この歴史の闇に埋もれた選手たちで「名前不明オールスターズ」を結成し、彼らがどんなチームになるのか、そして現代野球に参戦したらどうなるのかを真剣に考察してみました。

なぜ「名前不明のメジャーリーガー」が生まれたのか

まず、「なんで名前が分からないなんてことが起きるの?」というところから説明しましょう。問題の32人がプレーしていたのは、1872年〜1892年の約20年間。この時期のプロ野球は、まだまだ混沌の時代でした。

乱立していたリーグたち

当時は、今のように「MLB = AL + NL」という単純な構造ではありませんでした。いくつものリーグが生まれては消えていきます:

  • NA = National Association(全米プロ野球選手協会、1871–1875)
  • NL = National League(ナショナルリーグ、1876–現在)
  • AA = American Association(アメリカン・アソシエーション、1882–1891)
  • UA = Union Association(ユニオン・アソシエーション、1884)
  • PL = Players' League(プレイヤーズリーグ、1890)

球団も頻繁に生まれては消え、リーグ構造も安定していませんでした。記録の残し方も、当然いまほど整備されていません。

記録は「だいたい」で残されていた

当時の記録は、主に新聞記事やスコアカード、個人メモなどがベースです。選手名が「姓だけ」で書かれていたり、スペルミスや表記ゆれがあったり、1試合だけ出たような選手は、そもそも情報が少なかったりしました。


その結果、「たしかにこの苗字の選手が1試合出ている」ことまでは分かるけれど、フルネームがどうしても特定できない──というケースが、32人も生まれてしまったわけです。

32名の選手たちの実態

提供されたデータを詳細に分析すると、この32名の内訳は以下のようになります:


投手陣(9名):

  • Higby(1875, 0勝1敗, 防御率8.00, 9イニング)
  • O'Rourke(1872, 0勝1敗, 防御率3.00, 9.0イニング, 15失点)
  • McDoolan(1875, 0勝1敗, 防御率3.00, チーム「最低防御率」)
  • Evans, Stoddard, Murphy, Smith, Leonard(いずれも1試合のみ登板)
  • Lewis(1890, P/OF, 0勝1敗, 防御率60.00, 3イニング20失点)

野手陣(23名):

  • 捕手3名(Quinlan, Hellings, McRemer)
  • 内野手7名(Wood, D. Smith, Jones, Quinn, Wills, Shaffer, Sullivan)
  • 外野手13名(Spencer, Boland, Booth, Edwards, Sheridan, Carroll, Franklin, Scott, Jones, Macey, McBride, Stafford, Sweigert)

チームの絶対的エース:Scott

この32名の中で最も注目すべき選手は、1884年にBaltimore MonumentalsでプレーしたScottです。彼は13試合に出場し、12安打を記録しています。この数字は32名の中で圧倒的に優れており、間違いなくこのチームの「スーパースター」です。


二番目に出場機会が多かったのは、1886年にWashington NationalsでプレーしたショートストップのWillsで、9試合出場5安打。三番目は1883年のCleveland Bluesでプレーした二塁手のJonesで、5試合5安打という成績を残しました。

この32人だけで「幻のチーム」を編成してみる

では、このメンバーで1チーム組むとしたら、スタメンや打線はどうなるのか。与えられている情報はかなり少ないですが、その中から「まだマシそうな」選手を選んで、スターティングラインナップを組んでみます。

「名前不明オールスターズ」スターティングラインナップ

打順守備選手名主な成績選出理由
12BJones(Cleveland Blues)5試合、5安打出場数と安打がそこそこある、リードオフ適性に期待
2CFScott13試合、12安打チーム最多出場&最多安打のエース打者
3SSWills9試合、5安打試合数が多く、遊撃として中軸を任せられる
4RFJones(Kansas City Cowboys)3試合、3安打少ない機会で結果を出しているため、クリーンアップに
5LFSpencer1試合、1安打1打点唯一打点記録が明確な選手、勝負強さに期待
61BWood1試合、1打席0安打貴重な本職ファースト、守備重視の起用
73BShaffer1試合出場三塁手が少ないため、ほぼ消去法でスタメン
8CQuinlan1試合、5打席0安打打ててはいないが、5打席経験がある捕手
9PMcDoolan0勝1敗、防御率3.00「チーム最低防御率」とされる比較的マトモな投手

控えには、捕手のHellings・McRemer、内野手のD. Smith(2B)・Quinn(SS)・Sullivan(3B)、外野手のBoland・Booth・Edwards・Sheridan・Carroll・Franklin・Macey・McBride・Stafford・Sweigertなどがベンチ入りする形になります。

投手陣の編成と伝説の「防御率60.00」

先発投手陣はこんなイメージになります:

  • 先発1番手:McDoolan(防御率3.00)
  • 先発2番手:O'Rourke(防御率3.00、9イニングで15失点という不思議な数字)
  • 先発3番手:Higby(防御率8.00、9回完投)
  • 先発4・5番手:Evans, Stoddard, Murphy, Smith, Leonard(いずれも「1試合登板」のみ情報)

そして、ブルペンには強烈なインパクトを持つ男がいます。


Lewis(Buffalo Bisons, 1890)──防御率60.00。


3イニング投げて20失点という、ある意味「伝説級」の成績を残しています。計算すると確かに防御率60.00です:


防御率 = (20失点 × 9イニング) ÷ 3.0イニング = 60.00

現代的な役割でいえば、完全な敗戦処理要員ですが、「伝説枠」としてチームに1人は置いておきたい存在ではあります。


※重要な注意点:このスタメン、数字どおりとは限らない


ここまで、それなりに「成績」を元に打線を組んできましたが、ひとつ重要な前提があります。「5試合5安打」=打率1.000という意味ではないということです。


19世紀の記録では、「出場試合数」は分かるし「安打数」もある程度記録されるのですが、「打数」「打席」の詳細は残っていないことが多いのです。つまり、「5試合5安打」と書かれていても、5打数5安打かもしれないし、20打数5安打(打率.250)かもしれないというわけです。


なので、今回のスタメン・打順は、「試合数が多い」=ある程度信頼されていた?「安打数がある」=最低限は打てた?といった、かなりラフな推測に基づいています。

このチームが「現代プロ野球」に参戦したらどうなる?

ここからが本題の妄想パートです。この「名前不明オールスターズ」を、もし現代のプロ野球──MLBやNPBのシーズンにガチ投入したら、どれくらい戦えるのか?

まず、前提として時代差がエグい

彼らがプレーしていたのは19世紀末。現代とのギャップは、ざっくりこんな感じです。


打撃面のギャップ: 当時の球速は今よりかなり遅く、下手投げ・サイドスローも多い環境でした。現代では150km/h超のストレート+多彩な変化球(スライダー、フォーク、チェンジアップ、カットボール…)が当たり前です。19世紀の打者が、いきなり現代の投手相手に打席に立ったら、バットにボールを当てることすら難しいと思われます。


投手面のギャップ: 当時のフォーム、球速、変化ともに「今の高校生〜大学生レベル」くらいでしょう。現代の打者のスイングスピードも反応速度も当時の比ではありません。McDoolanやO'Rourkeの防御率3.00は当時としては立派ですが、今のMLB・NPBの中軸打線相手に投げたら、防御率は二桁(20点台)に跳ね上がってもおかしくありません


守備・用具面のギャップ: 当時のグローブは今より小さく、場合によっては「ほぼ素手」に近い状態でした。現代の打球速度はかなり速いため、結果として守備エラーの山になり、余計に失点が増えることも想像できます。

NPBにフル参戦した場合の成績予想

では、143試合制のNPBに参戦したと仮定して、かなりざっくり成績を予想してみます:

  • 予想勝敗:2〜5勝 138〜141敗(勝率 .014〜.035)
  • チーム打率:.120〜.160
  • チーム防御率:15.00〜25.00
  • 1試合平均得点:1〜2点
  • 1試合平均失点:12〜18点

つまり、歴史的な「超弱小チーム」です。勝てる試合があるとすれば、相手が大量のスタメン温存&控え中心だったり、相手投手が大乱調でフォアボール連発したり、たまたまこちらのバットが当たりまくる日といった、ほぼ「野球の神様の悪戯」レベルの条件が揃った時だけでしょう。

MLBに162試合フル参戦した場合

同じチームをそのままMLBに放り込んだ場合は、さらに厳しくなると思われます:

  • 予想勝敗:3〜8勝 154〜159敗(勝率 .019〜.049)

リーグの全てのチームから「ただのボーナスステージ」と認識されるレベルです。

それでも彼らは「野球史に必要な存在」だと思う

ここまで散々な評価をしておいてなんですが、個人的には、この32人の「名前不明メジャーリーガー」たちには、かなり強いロマンを感じています。

Scott、Wills、Jones、そしてLewis

Scottは、13試合12安打という立派な成績を残しました。Willsは、9試合に出場し、遊撃として5安打を記録しました。二塁手のJonesは、5試合で5安打。そしてLewisは、3イニングで20失点という、とんでもない記録を刻みました。


どの数字も、今の基準からすれば「小さな記録」かもしれません。でも、彼らはみんな、メジャーリーグ(あるいはその前身リーグ)のユニフォームを着て、観客の前でプレーし、公式戦のグラウンドに立ったという点で、紛れもなく「メジャーリーガー」です。


そのうえで、今残っているのは「苗字だけ」。おそらく本名があり、家族がいて、友人がいて、街のどこかで「昔ちょっとプロで投げた(打った)んだ」と話していたかもしれないのに、その「名前」だけが歴史からこぼれ落ちてしまったわけです。

野球の歴史は、スターだけでできているわけじゃない

ベーブ・ルースやタイ・カッブ、ジョー・ディマジオ、テッド・ウィリアムズ、現代なら大谷翔平やトラウトのようなスーパースターたちが野球史を彩ってきたのは間違いありません。


でも、その土台には、1試合だけ出て消えていった選手、代打1打席で終わった選手、防御率60.00で二度と上がってこなかった投手といった、無数の「無名の選手」がいます。


今回取り上げた32人の「名前不明メジャーリーガー」たちは、その象徴のような存在です。

まとめ:忘れられた32人への、ささやかなオマージュ

もし、彼ら32人が現代にチームとして蘇り、NPBやMLBで戦うことになったら──成績はおそらく、歴史に残るレベルで悲惨でしょう。打てない、守れない、投げても打たれる。


それでも、Higby、O'Rourke、Spencer、McDoolan、Quinlan、Wood、Scott、Jones、Wills、Lewis……そして他の22人という名前(苗字)を、こうして一度きちんと並べてみるだけでも、彼らが「たしかにそこにいた」ことを確認できる気がします。


野球の歴史は、華やかなスタープレイヤーだけでできているわけではありません。記録の片隅に、新聞の一行に、スコアブックの走り書きに残った無名の選手たちがいて、その一人ひとりが、今の野球への道筋のどこかを作ってきました。


次にメジャーの試合を観るとき、あるいは野球の記録を眺めるとき、頭の片隅で思い出してみてください。「かつて、名前も分からないメジャーリーガーが32人いた」という、小さな歴史の断片を。


そして、いつかどこかで、彼らのフルネームがひょっこり発見される日が来るかもしれません。




PR
今年も11月27日を迎えました。
日本シリーズの中継をテレビで見ながら、この記事を作成しています。

いつからか、毎年1回このblogで行われている奇祭「あめゆ汁大祭」。
”あれ”から20年以上が経過していますが、まだ開催します。
来年は宮沢トシ没後100年なのでいつもより盛大にしようと思いますが、
そうはいえ「あめゆ汁大祭」をblog1記事にまとめるのは毎年変わらないでしょう。

個人的なことですが――この1年、正確には2020年10月~2021年8月にかけて、精神的、健康的に苦しい出来事が重なりました。
厄年といってもいい出来事の数々、このネット上で表に出すのは
はばかろうと思いますが本当に苦しかった。
いつもよりもblogの更新数も減っていたと思います。
ここ十年くらい、ずっと少ないけれど。
以前、blogを始めたばかりの時は月に10記事以上書いていました。
今は・・・・・・年に10記事もない。
流行りのYouTuberだったら、週に10動画は楽にアップする。うにゅう。

苦しいことを乗り越えるのが人間ですので、何か過ぎ去った1年を通して経験を得たいと思います。
人の痛みに向き合うとか、なんとか。




<今年の宮沢兄妹>・・・・・・なんだこのタイトル

・宮澤賢治と妹・トシ 星槎道都大学研究紀要 経営学部 創刊号 2020 年
Ora Orade Shitori egumo!私は私で、ひとりで逝くもん!

・宮沢賢治の食卓(2017)
「天上のアイスクリーム」派か・・・・・・。
(なお私は兜率の天の食派)
東京オリンピック2020(2020年とは言ってない)開幕!!!
東京オリンピックが開幕して思うことは、
『もし、1年延期しないで開幕していたらどうなっていたか?』ということです。
そこで参考までに、今年の開幕寸前と去年の同一の日付において
東京と大阪で新型コロナウイルス感染者数を比較することで
何か我々の思考の足しになればなあと思います。
1年延期は、後付けで見ると妥当なのか、それとも・・・・・・。
(情報ソースはNHKの特設サイト。このサイトのcsvファイルを加工)


日付東京2020東京2021大阪2020大阪2021
7月10日24395022200
7月11日20661428166
7月12日20650232104
7月13日11883018225
7月14日143114920349
7月15日165130861324
7月16日286127166254
7月17日293141053380
7月18日290100886262
7月19日18872789224
7月20日168138749313
7月21日237183272491
7月22日2381979121461
7月23日3661359104379
赤字にした7月23日が開幕日です。
東京では1000人以上、大阪では10倍の差がある日がありますね・・・。
でも、去年より今年の方がワクチンの広がりや感染予防策は
確立されているわけで、この数字を見て「去年やっておけばよかった」
とはならない。
また、去年のこの時期は緊急事態宣言には引っかかっていません。
アクセス解析にて、5月24日に47PVのアクセスがあったそうです。
年に数記事の、このblogに47PVも残してくれるなんて
本当に素晴らしい方だと思いますが、
こんな調子でも2006年からやっておりまして、
過去の記事を見れば、何か心に引っかかるものがあるのかなという、
そんな気持ちであります。


なお月のPVは100を切っている。
永訣の朝コンサート

「永訣の朝」という合唱曲はありますが、ジャズにしたらどんな感じなんでしょうか??




・・・・・・という書き出しから始まる、今年のあめゆ汁大祭。
今回も、特にやることがありません。

まああれですよ、今回もこのお祭りを行えるだけでも個人的にはうれしい。
「あめゆじゆとてちてけんじや」から派生した言葉「あめゆ汁取ってきて賢治や」。
その言葉の尊さを感じる、この日。


「永訣の朝」のリアルな情景が描かれた回想録 賢治の妹(シゲ)が見た賢治の姿
リアルあめゆ汁。
ビチョビチョと降る雨雪にぬれる兄に傘をさしかけながら(中略)
緑の松の葉に積もった雨雪を両手で大事に取るのを茶碗に受けて、
そして松の小枝も折って、病室に入りました
冬休みは1月4日まででした。
今回は曜日の関係で1日長い冬休みとなりましたが、
残念ながら休み前から体調があまり思わしくなく、
ジムは5日の休みのうち1日しか行けませんでした。

1月2日に7000km突破。


長い休みの後は仕事復帰が辛い。それは誰にでもあることですが
まだ光が見えてこない以上、ひとつひとつ仕事をこなしていくだけです。
火曜日くらいに走行距離が3500km突破し、そして今日は歩いてきました。
走れる余裕もあったので半分以上は走りました。

歩いた日にblogをつけるとエントリの数も増えていい感じになるのではないでしょうか。
当ブログは、今日をもって10周年を迎えました。記念行事は無いのですが、
久しぶりにニュースでも……。

壇蜜、芸能界「退く意識してる」 ブレイクの1年振り返る


今年大ブレイクを果たしたタレントの壇蜜(33)。いちグラビアアイドルの枠を超え、テレビでは冠番組、映画では主演、CMも複数起用され、
等身大フィギュアまで作られるなど、まさに引っ張りだこの1年を過ごした。
全力で走り続けた彼女に、ブレイクの要因と芸能界での手応えを聞くと、「もう退く意識をしている」など身を引く覚悟ばかりが語られた。


――今年1年は本当に多忙だったと思います。名実ともに芸能界でブレイクを果たした今年を振り返ると?

壇蜜:正直、もう退くことに対しての意識をし始めてます。それをこうしてメディアの前で口にもできているので、
自分の中で覚悟もできてる証拠かなと。

――ブレイク直後にもう退く発言ですか?

壇蜜:なんでしょうね。以前、ミッツ・マングローブさんとお話ししたときに、人の情報は4年で枯渇するってのを聞いて、すごく共感したんです。
そこで意地張って頑張る人もいますが、私は毎日終わることを考えてます(笑)

――しっかり1年活動してこれたのに、終わりを意識する理由は?

壇蜜:私は本当に才能がない人間だと思っているので、自分の力に対しての限界は理解している。
だからこそ、枯渇の話はすごくマッチする。自分に自信があれば「やっていける」と強く思えるんでしょうが、自分の才能のなさがわかるので、
その話と一致してしまうんです。(終わりは)今年の夏頃から真剣に考えるようになりましたね。
ある朝、歯を磨いて流したら、口からすごい血が出て、体力の限界も感じました。ウルフ(元横綱・千代の富士)じゃないですけど(笑)

――枯渇とは無縁で長く活躍している人も大勢いますが、自分には当てはまらない?

壇蜜:しがみつこうと思って、しがみつける世界ではないと思っていて…。やっぱりファンありき。
ファンが私に対して銭を落としてくれないと生活できない。極端な話、飼っている猫ですら、ファンのお金で養えてるわけですから。
私の生活の延長上にファンがいて、そのファンはいずれいなくなると思う。そうなると、この世界で生活できなくなる感覚ですね。

――では、逆になぜブレイクできたと思います?

壇蜜:最初にテレビに出始めた頃に、いい意味でいろんな人が放ったらかしにしてくれた。それで今の自分があるのかなと。
一人で大きくなったとか自負することではなくて、もう32歳でしたし、自分に舵取りをさせてもらったことで、
いろんな人に助けてもらいながらも、自分なりの道を歩んで行けたのはあるなと。

――「あれやれ、これやれ」と指示されなかったのが良かったと?

壇蜜:番組とか制作物ってみんなで作るものなので、威張って指示を出されたりすることにどうしても反発しちゃうんです。
ひねくれた部分があって、変に要求されると帰りたくなっちゃったり(笑) 
なので、自分にある程度ハンドルを委ねてくれたのは、ありがたかったです。もちろん、わたしとやりにくい人は絶対いると思いますし、
テレビの世界でも迷惑かけた人は正直いますよね。

――身を引く意識が強いですが、来年2月には主演映画『地球防衛未亡人』も公開されます。どんな年にしたいですか?

壇蜜:今のところ、いろんなお仕事をいただいて、ありがたいのは確かです。でも、無い袖は振れないのをわかった上で、
来年はやらせていただこうと。あと、立体駐車場かなって思ってます。もう芸能界はいいかなって(笑) 
やっぱり立体駐車場の経営が儲かるのかなって。


この方の文章が面白い、たまにブログを見て思います。壇蜜さんの本当の魅力は容姿にあるのではなくて、
文章力にあるのかもしれません。どこかにユーモアを忍ばせていて、それが私の笑いの感性とは合っている。
でも逆に、そういうコメンテーターの立場で登場されるとちょっと違うかなーって思ってしまいます。

以上、10周年ちょうどのエントリでした。


高樹千佳子さん結婚したもんなー。

乳がんでも温泉を楽しもう 入浴に配慮の宿泊施設も

10月は乳がん啓発月間-。乳がんは、早期発見・早期治療で助かるケースが多いが、乳房の切除は女性の心に深い傷を残す。
そんな中、乳がん治療を受けた女性も気兼ねなく入浴できるよう配慮する宿泊施設のネットワークが誕生。
「ピンクリボンのお宿ネットワーク」で、7月の発足以降、参加する宿が増えている。(村島有紀)

 ◆もてなしの心

同ネットワーク事務局によると、乳がんで年間5万人が切除や温存治療を受け、その後、旅を諦めている患者と家族は約200万人に上ると推計される。

7月10日の設立総会で、会長の畠ひで子さん(福島市の『匠のこころ吉川屋』女将)は「乳がんの術後、生活の中で大きな楽しみの旅を諦めてしまう人が多いのは残念。
誰でも利用しやすい旅館のあり方を考えたい」と挨拶。ロゴマークの普及や、加盟宿(会員)のサービスを紹介した冊子を全国の病院に配布する-ことなどを決めた。
9月10日現在、全国52の宿が加盟している。

加盟における施設面での条件は設定していない。しかし、貸し切り風呂がある▽大浴場の洗い場に仕切りがある-ことが望ましい。
そのほか、胸を隠せるよう多めにタオルを貸し出す▽脱衣所の照明を少し暗くする-などのソフト面でのもてなしも重視する。

 ◆専用日を設定

加盟宿の一つ、長野県山ノ内町の温泉旅館「渋温泉 湯本旅館」(60室)は毎月第3金曜日を「ピンクリボンの日」とし、
宿泊客を乳がん患者(または夫婦)のみにしている。女将の湯本英里さんも乳がんの治療中で、
「切除した直後は私も人目を気にした。悩んでいる人の力になれたら」と話す。


静岡県東伊豆町の「熱川プリンスホテル」(52室)は貸し切り風呂や露天風呂付き客室のほか、「湯浴み着」と呼ばれる温泉着を貸し出している。
湯浴み着はもともと屋上の露天風呂専用だったが、ネットワーク加盟を機に屋内浴場でも使えるようにした。
社長の嶋田慎一朗さんは「安心して入浴を楽しんでいただけたら」。


久しぶりにニュース。
がん患者の心のケアについての文章です。がんになったからとはいえ すぐに命が無くなってしまうわけではないことが多いので、
人生を満足させるために このようなプランが用意されているので非常に心強いです。
初の4校連合チーム、涙・感激のコールド負け

北海道帯広市で開催中の全国高校野球選手権北北海道大会十勝支部予選で26日、全国初の4校連合チーム「足士新幕(あしししんまく)連合」
帯広南商と対戦し、4校それぞれのユニホームで健闘したが、0-9で七回コールド負けした。

連合チーム主将を務めた新得の片桐祐馬主将(3年)は試合後、涙を拭いながら「1年ぶりの公式戦で緊張した。みんなと楽しくやれて感激した」と話した。

連合チームは足寄、幕別の両校が各4人、士幌、新得の両校が各2人の選手計12人がメンバー。4校は部員不足で、単独出場できず、
日本高校野球連盟が今大会から公式戦参加を認めた「部員不足による連合」でチームが結成された。

相手の帯広南商は十勝支部の強豪でスポーツが盛ん。陸上短距離・ロンドン五輪代表、福島千里選手の母校。
3年に在学中のスピードスケート・バンクーバー五輪代表、高木美帆選手もスタンドから声援を送った。



4校連合とかすごいww 高木美帆選手にも感想を聞きたい所です。
で、この4校の練習はどんな感じだったんですかね。集まるのだけでも相当しんどいと思うのですが。
 1  2  3  4  5  6  ≫
HOME
カレンダー
02 2026/03 04
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
ブログ内検索
最新コメント
あけました(返信済)
(01/06)
(01/02)
おひさです(返信済)
(08/05)
(03/27)
無題(返信済)
(12/08)
無題(返信済)
(12/10)
(11/11)
(11/11)
(10/24)
(10/21)
最新トラックバック
カウンター
忍者ブログ [PR]